更新日:2024年5月5日

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3.関口大洗堰

神田上水は、徳川家康が江戸に入った天正18年(1590)の少し後に開かれました。井の頭池などを水源とし、江戸・東京の人びとに生活水を供給しました。大滝橋近くに大洗堰が設けられ、ここで神田上水の水位を上げ、上水路を通して小石川の水戸藩上屋敷(現・東京ドーム一帯)の池(大泉水)を調整池とし、余った水は神田川に流しました。

明治年間以降は、水戸藩上屋敷跡にできた東京砲兵工廠(兵器工場)の工業用水として用いられましたが、明治34年に飲用水への利用を終えた後、工廠(こうしょう)の移転により、大洗堰は昭和8年(1933)に廃止されました。大洗堰は絵になる素材だったようで、版画や絵画、また絵葉書などにもよく用いられました。

ここでは明治初期から昭和初期までの写真などを集めました。景観が少しずつ変わっていく様子がわかります。

明治4年(1871年)四十六昇斎一景画 東京名所四十八景 関口目しろ不動

(左に関口大洗堰、右上に目白不動が見える。)

昭和6年(1931)頃 小泉癸巳男画 昭和大東京百図絵 関口大瀧

(夏の大洗堰を描いたもの。夏には水辺に涼を求める人びとが集まってきた。)

明治39年(1906年) 関口大洗堰(『新撰東京名所図会』より)

明治40年(1907年)関口大洗堰

大正8年(1919年)関口大洗堰

昭和初期 関口大洗堰

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