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更新日:2024年5月5日
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【2階展示】まちの風景
徳川家康が江戸に入るまでは、文京の地は人家もまばらでした。
江戸幕府が開かれると次第に武家地や寺社地、また、町人の住む町屋が形成されてきました。
乳香散でにぎわった「かねやす」
「本郷もかねやすまでは江戸のうち」という川柳があります。
そのかねやすは、享保の頃(1716~36)兼康祐悦(口中医師=歯科医)が開いた店で乳香散という歯磨き粉を売っていました。
これがヒット商品となり、いつも祭りのように客が集まったといわれます。
かねやす
江戸の大店高崎屋
現在も駒込追分にある高崎屋(現 向丘1丁目)は、江戸時代から代々続いている酒店です。
寛政から天保期にかけて現金安売り商法で大繁盛し、追分の本店のほか中店・南店などの支店・分店を設け、小網町の南店は地廻り酒問屋として営業していました。
また、両替商も営み、幕府に1千両の御用金を2回も上納するなどした大店です。
今に残るこの「高崎屋絵図」は往時の高崎屋の賑わいや豪商の住居の様子を伝えています。
絹本着色高崎屋絵図
駒込土物店(やっちゃば)
旧駒込浅嘉町(現 本駒込3丁目)・高林寺門前・天栄寺門前にまたがる青物市場で、昭和12年豊島区に移転して、豊島青果市場となりました。
江戸時代の初め、江戸市中に野菜を売りにいく農民が現在の天栄寺門前あたりにあった「さいかち」の木のもとで野菜を売ったのが「やっちゃば」の起こりといわれています。
やがて、門前の辻を中心に青物問屋が建ち並び「駒込のやっちゃば」、或いは、大根・人参・ごぼうなどの土つきの野菜を多く扱ったので「駒込土物店」ともいわれました。
駒込土物店ジオラマ
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