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更新日:2024年4月25日
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昭和30年9月結成
町会・自治会の活動への参加方法、活動内容、会費等に関することは、各町会・自治会にお問い合わせください。連絡先がご不明の場合は、下記の地域活動センターまでお問い合わせください。
地域活動センター | 電話番号 |
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根津地域活動センター | 03-3822-3653 |
当地は、かって水戸藩の中屋敷でありました。明治5年、初めて明治政府による町屋制で新しい町名、旧「向ヶ岡弥生町」が誕生しました。この町名の由来は、「文政十余り一という年のやよい十日……名にしおう春に向ふか岡なれば世にたぐいなき花の影かな」これは水戸藩主9代目徳川斉昭が、対面の上野台地から吾が屋敷周りを望み、春先の見事に咲き誇る桜を詠んだ歌とされ、屋敷跡地に残された徳川斉昭の歌碑から引用、向ヶ岡弥生町が生まれたとされております。この「向ヶ岡記碑」は現在も東大の浅野校舎敷地内に大切に保存されております。また明治17年にはここの貝塚から土器の壺が発掘され、当町名の弥生をとり「弥生式土器」と命名されました。この記念碑「弥生式土器発掘ゆかりの地」は当町会の先人達が残してくれた大切な財産で、今日まで町会の管理下で保存されております。
「向ヶ岡弥生町会」は、昭和30年5月戦災の復興も一段落した頃、戦後の町会として再出発しました。約60年経過した現在、当時と比較して私達の街なみ、居住者、環境もずい分変貌いたしましたが、当町会としての本質の部分は殆ど変わっていないと信じております。それは、先人達が過去に築いた町会としての誇りや、良き伝統です。先人達の功績に感謝し、この精神は大切に忘れず現状の町会活動に活かしていきたいと考えております。そして、次世代にも同様、正しく伝承、継承していく所存です。
当町会を構成する弥生2丁目は、東京大学の本郷、弥生両キャンパスに接し、浅野キャンパスを取り囲む地勢にあります。アカデミックで文化的香りもたたえながら一方では下町情緒の根津地区に隣接した環境にも恵まれて人情のぬくもりに触れ、根津神社を中心に集う様々なイベントを通しての広域的地域活動への関わりも、大切にしていく向ヶ岡弥生町です。