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更新日:2019年12月12日
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明治17年(1884)、東京大学の坪井正五郎、白井光太郎と有坂鉊蔵の3人は、根津の谷に面した貝塚から赤焼きの壺を発見した。
これが後に縄文式土器と異なるものと認められ、発見地の地名を取り「弥生式土器」と名付けられた。
しかし、「弥生式土器」の発見地は、都市化が進むなかではっきりしなくなり、推定地として3か所が指摘されていた。
昭和49年(1974)、東京大学構内の旧浅野地区の発掘調査により、二条の溝と貝層、弥生式土器等が検出された。
都心部における弥生時代の数少ない貝塚を伴う遺跡として重要であることが評価され、昭和51年(1976)に「弥生二丁目遺跡」として国の史跡に指定された。
しかし、弥生式土器の発見地の特定にはいたっておらず、現在も調査研究が進められている。
東京大学の農学部と工学部の境に「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑がある。
【所在地】文京区弥生2-11[地図]
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